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卒業設計、終わってしばらく経ってみて。

 卒業設計が終わりました。もう2週間以上前ですが。そもそもこの記事書き始めてから引越しを挟んで1週間以上経ってしまいました。
先にどんなものを作ったのかまとめようと思っていたのですが、選出していただいた学内講評会とARCHIBAUというOB会主催の講評会を経て、少し部分的に整理したくなったので書いてみます。
 
きっかけになったのはARCHIBAUでOBの方から頂いたある意見で、それに関して思うことを中心に書いてみようと思います。
 
 
そこで頂いた講評を、自分は「もっと多様なデジタルデバイスを認識した上でタイムリーな可能性を提示出来たのではないか」という風に解釈いたしました。もっともだと思います。
ちょくちょくこのBlogでも触れてきましたが、前々からフィジカルコンピューティングやインターフェースの現状・可能性にはかなり興味があって、むしろそういうものに傾倒しがちな自分があります。
今回の卒業設計はその反動といいますか、モニター越しでは得られない、うるさい明るい汚い熱い臭い等々の直に五感を刺激するもので空間を満たしたかったというのがあります。
CGを作っていて感じるのですが、まさに、火を表現したければ火を見て眩しさを感じ、手をかざして熱を感じ、そして燃えゆくさまを見届ける必要があると思うようになりました。しかしそうではなく、インターネットなどで簡単に手に入る断片的な情報の圧倒的な量に騙されすぐに満足してしまう、GoogleやWikipediaに侵されているのが僕らの世代だと感じるのです。
デジタルデバイスが作業空間の可能性や効率を飛躍的に向上出来ることは理解していますし、様々なものが出揃ってきた今ならば適切な組み合わせを導きかなりリアルな形で提案することも出来ると思います。
しかし時にデジタルデバイスは便利過ぎると感じます。
端的に欲しい情報にたどり着け、しかしそれが故に掴み取った情報以外の部分が抜け落ちてしまうことが少なくない。また一方で、断片化され無造作に蓄積されていく情報群に、タグや検索エンジンやWikiといったアルゴリズムにより何らかのorderを与えることで、ある程度の範囲の広がりを持った含みのある情報を手にすることは出来るが、その情報の元となる事象の本来の姿と一致しているとは限らない。むしろ何かしらの歪みやズレがあることが多いのではないか。
どちらにせよ、〝モノ〟であるままに触れるのと、〝情報〟となって触れるのとでは大きな隔たりがあるように感じるのです。
自分はこの図書館でモノに触れる機会を増やしたかったのです。モノとか事象とか、いろいろな書き方をしてしまい、どう表すべきか自分の中でもブレていることの証拠かもしれませんが、そのぼんやりとした何かを、まずは一つの答えとして本や図書館の中に写し取られている文化だと捉え、文化を生み出す作業空間をモノに触れられる場所だと捉え、あとはひたすら人とモノとの接点を増やす作業に没頭していったわけです。
高度なデジタルデバイスはその接点を簡略化もしくは疑似化してしまう危険性があると感じます。もちろん高速で新しい接点を次々と誘発させていくシステムなど、今までにない可能性は枚挙に暇がないです。
それでも、この図書館でやりたいこととはやはり相容れない部分の方が大きいのではないかと考えました。自分の見識や力量が不足しているが故にうまい着地点が見出せなかった可能性もあります。自分がやりたいことにデジタルデバイスの機能を上手いこと上乗せすることも可能だったかもしれません。
テクノロジーのもたらす可能性を吟味しポジティブに追求するのも、今という社会に生きる建築にとって必要なことかもしれません。そういう点では、今回の自分の卒業設計はまだ他にやれたかもしれないと感じる部分はあります。もちろん自分なりにいくつかは検討してみました。例えば海外の図書館でのKINDLEの活用法なども調べてみたりしましたが、自由書架という誘引効果のある仕掛けが機能しなくなるため導入できませんでした。
何故いまさら実体のある本なの?紙媒介の必要性って減ってない?という問いに、残念ながらプレゼンの中でスマートに答えることは出来ませんでした。
デジタルライフどっぷりな自分が、最初と最後のこれらの問いにまとめて答えるのならば、等身大の今の自分がまさに感じ考える、ここまで書いてきた内容に依るとことなる気がします。
そして何故あのようなものを設計したのかと聞かれれば、自分がそういう建物を使いたいからに他ならないのです。
 
卒業設計は様々な思考を再整理するきっかけをくれました。まだまだそれは途上にあります。
自分は人が影響する、されるという現象に非常に興味があります。
今回の設計にもその辺が表れているかもしれません。人に影響したいと建築の道に入り、様々な考えを経てより純粋に影響力を試せる世界に進むこととなりました。
今選んだ道はその可能性の一つでしかないと持っています。自分の軸をその表現手法そのものに寄せてしまわなければいつでも他のチャレンジが出来るのではないか、そこで培った経験は他に活かせるのではないかと青臭いことを考えています。
これからの自分の人生ではその青臭い考えが間違いではないことを証明しなければならないと思います。
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建築のこと

大学では建築を学んでいます。

何かをつくりたい、というありきたりな願望のもと、いろいろあってひょんな拍子に大学に入り建築を学ぶことに。
建築は面白くて難しくて深くて。人間や社会そのものを包み込むものですから、たぶんそうあって当然なんだと思います。
もともと自分は何やかや“ひと”が好きで、それと同時に“人間”も好きで、そんな自分にはそれを写し取る建築が非常に興味深く、何かあるたびに考えさせられています。建築から社会や人間が理解できることもあれば、社会や人間から建築が理解できることもあるのがとても面白い。
知識や経験といったものが、様々な分野を飛び越えて繋がっていくことを感じさせてくれたのは建築でした。

学部3年のとき、映像をいじりはじめたころに広告学校という今は休刊してしまった広告批評という雑誌主催の広告の学校にダブルスクールで通いました。
そこで学んだことはもちろん広告を考え理解する助けになりましたが、それと同時に大学にいてはわからない社会や建築に対して考えを深めることにも繋がりました。

どんなことにもよりたくさんの切り口がもてると良いのだろうなぁと思います。
これから先、大学卒業後とりあえずは建築から遠ざかりますが、建築について考えてきたことは自分の中で生きているし、これからも考え続けていきたいと思っています。

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